∈進照∋ ★彡 2023-04-21 (金)
◆「南無親神尊(なむおやがみそん)」という言葉は、親神尊に結果の全てを委ねることを表す言葉ですが、これは決して、親神尊に全てを丸投げして自分が楽をしようとする意味の言葉ではありません。
◆目標を達成するために、願いごとを叶えるために、怠ることなく力を尽くしたとしても、自分の力だけでは解決できない困難に遭遇し、目標の達成が阻まれることがあります。
◆そんな「人の力」ではどうすることもできない部分、自分の力だけでは解決できない部分に親神尊の力添えを願い、目標を達成しようとする心構えが「南無親神尊」なのです。
◆また、これまでの説話で述べてきましたように、目に余るほどの三罪心(我欲心・憎悪心・他虐心)にまみれた願いごとが叶ってしまうと、めぐり巡って真の幸福から我々は遠ざかってしまうのですから、そうならぬ形の目標達成へ我々を導いて下さるよう親神尊に乞い唱えるのも「南無親神尊」です。
◆親神尊は願いを叶えて下さる神ではなく、我々を幸福へ導こうとして、日夜を分かたず我々に力を注ぎ続けて下さっている神です。
◆我々を幸福へ導くために、親神尊の力で「我々の願いを叶えて下さること」があります。同時に、我々を真の幸福へ導くために、「我々の願いが叶わぬように敢えてなさること」もあります。なぜならば、親神尊は、我々を幸福に導いて下さる神だからです。
◆「南無親神尊」を唱えれば、親神尊と共に我が身があることを強く意識し、親神尊と共に歩んでいける喜びを実感することができます。
◆「南無親神尊」を唱えれば、我々の心に去来する不安や不要な悩みが軽減され、親神尊と共に、力強く前へ向かって歩き始める勇気と力を得ることができます。
◆そんな言葉なのです、我々が日々唱えている「南無親神尊(なむおやがみそん)」とは。
七宝稲荷 進照 拝