神社のソメイヨシノ

◆下の写真は、今日(2026-04-06)撮影した神社のソメイヨシノです。
 ⇒妙照刀自命の霊屋や子安地蔵を見下ろすアングルで撮影しました。

◆写真のソメイヨシノは花の中心部で赤味(濃いピンク色)が増していますから、そろそろ散り始めるでしょう。
 ⇒ソメイヨシノの花の中心部は開花直後は白っぽいのですが、日数を経るに従い赤味を帯びて濃いピンク色になり、やがて散り始めます。

◆神社の裏山(七宝山)では、ヤマザクラがあちこちに点在して咲き誇っています。
◆お詣りに見えたときは、神社のソメイヨシノだけでなく、裏山を見上げてヤマザクラも是非ご覧ください。

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《 余 談 》

◆七宝稲荷の「花見の会」で過去に何度か説話させていただいたので、覚えている方もおられると思いますが、せっかく境内のソメイヨシノと裏山のヤマザクラが同時に咲いているのですから、「花見の由来」について少し書かせていただきます。


❖春になると、日本各地で当たり前のように行われる「お花見」ですが、その起源を辿っていくと、単なる季節の娯楽ではない、深い信仰の世界が見えてきます。

❖実は、日本の農耕文化にはこんな考え方があったのです。

【秋】
❖稲刈りを終えた「田の神」は、その役目を終えて山へ帰り「山の神」となって山で冬を過ごします。

【春】
❖山にいた神(山の神)が再び里へ降りてきて「田の神」となり、その年の稲作を守護します。

❖つまり、山の神と田の神は、同じ神が季節によって姿を変えたものだと考えられていたのです。

❖では、人々はどうやってその「神の降臨」を知ったのでしょうか。
❖その目印となったのが、山に咲くサクラ・・・ とりわけヤマザクラだったのです。
❖春になると、山の高いところから順にヤマザクラが咲き始め、やがてその開花は、徐々に山の中腹へ、そして麓へと降りてきます。この現象を見て、昔の人々はこう考えました。「山の神が、山から降りてきている」と。

❖だから人々はサクラの咲く場所へ集まり、神を迎えるための宴を開きました。そしてそれが「お花見」の原型となったのです。
❖つまり、お花見とは単なる酒宴ではなく「田の神を迎える神事」であり、豊作を祈る大切な行事だったのです。七宝稲荷の「花見の会」が神事として扱われる所以も、実はここにあります。

❖現代のお花見は、「サクラの下で酒を飲んで楽しむ行事」というイメージが強いのですが、もともとは、サクラの下に人々が集まること自体が、神を迎えるための行為だったのです。
神が宿ると考えられたサクラの木の下で、食べ、飲み、語り合うことで、人と神が時間を共有する・・・ それは、いわば「神とともに過ごす宴」だったのです。

❖ここで一つ、現代との大きな違いがあります。
❖今、日本で広く見られるサクラの多くは、実はソメイヨシノです。ところがこのソメイヨシノは、江戸時代末期に品種改良によって生まれたサクラであり、比較的新しい存在なのです。
❖それ以前、日本の山野に自生していたのは主にヤマザクラだったので、本来のお花見は、人工的に整えられたソメイヨシノの桜並木ではなく、自然の山に咲くヤマザクラの下で行われていました。
❖山を見上げ、サクラ(ヤマザクラ)の開花の移ろいを感じながら神の降臨を待つ・・・ それが、本来のお花見の姿でした。

❖こうして見ると、サクラは単なる「美しい花」ではなく、季節の訪れを告げ、神の動きを知らせ、人と自然と神を結びつける存在だったことが分かります。
❖山の上から、麓へと降りてくるヤマザクラ。その姿の中に、「山の神が里へ降りてくる物語」を見ていた昔の人々の感性は、実に素敵だと思いませんか。
❖そして山を降りてくるヤマザクラの光景が、まさに今、神社の裏山で見られるのです。

  七宝稲荷 進照 拝